「明和義人伝~モダンタイムズ~」第9回 : 木村大地さん

プロフィール

木村大地さん

新潟市出身。2019年、新潟大学医学部の曽根博仁教授とともに創業した()アイセックが「新潟大学発ベンチャー称号認定制度」第1号企業に認定。医療データや健診結果等を分析し、医学的知見から解決策を打ち出すことで多数の自治体や企業に属する多くの人々の健康支援を担っている。2022年春、新潟大学 医歯学総合研究科医科学専攻 修士課程を修了し、博士課程へ進学。

健康診断、受けただけで安心していませんか?
判定結果を見て、真面目に生活習慣の改善に取り組む人はどのくらいいるでしょうか。
健康診断結果が悪くても放置していませんか?
健康医療に関してエビデンス(根拠)に基づくデータ分析により人々の健康支援を行う木村大地さんは、誰もが末永く元気な人生を送れるよう、並々ならぬ思いで健診という手段の重要性を訴えます。
新潟県から全国へ、世界へ、新潟から健康な人を増やしたい。木村さんの思いを伺いました。

健診の大切さをたくさんの人々に伝えたい

木村さんが健康に興味を持ったきっかけは?

 

木村:
僕が子供の頃お世話になった剣道の恩師がきっかけです。先生が47歳の時に喉頭がんを発症、2年間の闘病生活が終わりに近づいていたある日、病院の待合室で涙を流しながら、死への恐怖や生き続けたいという思いを僕と僕の友人に話してくれたことがありました。その光景が今も頭にこびりついています。先生はその後間も無く亡くなりましたが、15歳の僕がそこで学んだのは、「人が最期を迎える時、何を後悔するのか」ということです。お酒もたばこも大好きだった先生。奥さまの「あの人がもっと健康診断を受けていれば…」という一言が、僕の人生のスイッチを押してくれたような気がします。世の中の人が健康診断を受けていればこんな思いをすることはない、健診をみんなが受けられる社会を作りたいと強く思うようになりました。

 

健康や医療に関する仕事に就くために、どんな行動を起こしましたか。

 

木村:
関東の大学に進学し、ある国会議員の事務所で4年間アルバイトをしました。将来政治家になれば健診の文化を作れるのではないかとその時は思ったのです。しかし結局、政治だけでは駄目で、現場から変える必要があると感じ、大学卒業後に一般社団法人 新潟県労働衛生医学協会という健診機関に就職しました。県民の皆さんに健診を受けてもらい、その結果を活かして生活習慣や行動をどうにか変えてもらいたい。そういう仕組みを作りたいと常に考えていました。2008年、メタボ健診が始まり全国の健診データの仕様が統一されました。そのタイミングで厚生労働省のシステムを開発する会社の社長とご縁があって、東京に来ないかと誘っていただきました。その会社では厚生労働省、日本医師会、健康保険組合連合会という国の健康を司る上位団体の方々と、日本全国のデータの規格を検討し統一化した上で円滑に流通させるという業務を行いました。

オンラインを活用した診療システムを構築

30歳で独立することになった経緯を教えてください。

 

木村:
29歳の時にMBA(経営学修士)を取得するために大学院に入り、あと数年経ったら起業しようかなと思っていたところ、20113月に東日本大震災が発生。今考えている構想に情熱があるなら、今すぐやらなければという思いがふつふつと湧いてきて、僕はMBA取得を途中で諦め、震災3カ月後の61日に会社を立ち上げました。企業の社員が健康に働くための制度設計とそのコンサルティングを目的に、何社もの大手企業の中に入って支援する仕事です。僕の珍しい経歴と健康に関する知識が強みとなって、たくさんの企業に紹介してもらい、広く重宝されるようになりました。

 

木村さんのターニングポイントとなったのはどんな業務でしたか。

 

木村:
創業して2年経った頃、ある大手鉄鋼会社の海外駐在員の人たちの健康管理をどうすべきかという課題に直面しました。医師や保健師が現地まで赴くのは大変で、放置せざるを得ないケースもありました。そこで提案したのが、アメリカのテレメディスンという文化、今で言うオンライン診療です。国土が広いアメリカでは医師も各地に偏在していて、当時からオンライン診療が普及していたのです。まず2015年に、沖縄の離島と東京の保健師さんをオンラインで繋いで健康相談や保健指導を行う仕組みを作り、翌年には日本で初めてオンライン禁煙外来を開発。スマホで医師と面談し、お薬が自宅に届く。この取り組みには予想以上に多くの企業、さらには国からも注目していただいて、2017年3月に内閣府で厚労省、経産省、総務省の大臣を前に、このオンライン禁煙外来の取り組みを提案しました。当時オンライン診療は、初回の1回は必ず医師と対面で診療を行う制度でしたが、その1回の対面ができないから治療開始に繋がりにくい。企業が管理する禁煙外来に限っては対面なしの全てオンライン診療を可能に、そうすることのメリットも国に提言したところ、即時その場で合意、6月の閣議決定に通って医師法の規制緩和が実現しました。それは僕の人生における大きな成功体験となりました。

新潟大学医学部と共同で会社を設立

その後、新潟大学大学院の医学部に入学されたそうですね。

 

木村:

健康支援に関しては社会課題解決につながる新たなサービスを開発し、国の法制度の規制緩和も実現してきましたが、正しいエビデンス(根拠)として次の世代に繋げるための論文化を行う知識もなく、常々自分に医学的知識がないことが課題と痛感していました。そこで東京時代から尊敬していた新潟大学の曽根博仁教授の門を叩き、新潟大学大学院の医学部を受験することを決断しました。曽根先生は「新潟県民の健康寿命延伸に資する課題を解決するためのエビデンスやアルゴリズムを数多く保有しているが、病院や研究室にいると直接課題を持たれた方々へアクセスすることは困難であり、地域社会への還元ができていないことが課題である」とお考えでした。一方、さまざまな課題を保有した自治体や企業とのネットワークを数多く保有し、課題解決に関するアイデアや関連法制度を熟知しているが、医学的知見やエビデンスが不足しているために大学院に入学した背景を汲み取って頂き、双方の強みを補い合うような会社を設立すれば、新潟県民の健康寿命延伸という社会還元が実現できるのではないかと、2019年12月 (株)アイセックが設立されました。設立半年後には新潟大学発ベンチャー認定企業第1号を授与されました。

 

(株)アイセックの主な業務内容について教えてください。

 

木村:
初年度に新潟市約80万人の内の50万人分の市民の健康医療データの分析、2年目は新潟県内30市町村国保すべてのデータ分析を承りました。全市町村、向こう数年の健康計画がこの素材を基に作られます。医療健康ビッグデータを分析し見える化することにより、地域ごとに抱えているそれぞれの問題に対し、原因を探ることができます。例えば高血圧の方が多い地域では塩分指導に力を入れよう、独居のお年寄りが多い地域ではメンタルヘルスに注目して介入しようといった対策を打ちやすくなるのです。他には、全国初の取り組みである「妊産婦メンタルヘルスオンライン健康相談事業」を県内2つの市で実施し、非常に高い評価をいただきました。実証期間中にたまたま自殺願望がある重度の患者さんを見つけることもでき、オンライン診療は確実に社会に必要なサービスであることがわかりました。また、健康に関する正しい知識をたくさんの人に届けるため、スマホで健康教育を受けられる仕組みを開発しました。これは現在多くの企業に採用され、令和4年度厚生労働省の採択事業にもなっています。「健康の土台は教育がすべて」という僕らの思いを形にしたサービスです。

祖先への感謝を忘れず、地域社会に還元できる事業を

(株)アイセック代表として、また個人としての地域貢献への思いは?

 

木村:
当社は「10年以内に新潟県民を健康寿命日本一にする」という目標を掲げています。そのためには、全国よりも地域のローカライズビッグデータをしっかり分析することが重要。新潟の健康づくりのモデルが全国の地方都市、さらには世界の健康課題解決に直結していくことを目指しています。僕個人の地域に対する思いとしては、相田みつをの詩「命のバトン」に書かれているように、何百万人もの祖先からバトンをもらって、今、自分の番を生きていることを心に留め、親、祖父母、その親への恩返しの思いがあればそれが地域に伝播し、地域への還元になるのではないかと思っています。

 

 

明和義人祭に期待すること、メッセージをお願いします。

 

木村:
僕の人生のテーマは、子供たちの世代に時代に即した健康の文化を受け継ぐこと。明和義人祭も家族や地域に誇りを持ち、大切なことを受け継ぐお祭りだと思います。僕も新潟人として親や祖父母の時代から受け継いできた文化を活かしながらも、子供たちが誇りに思える地域を作っていきたい。そこには健康であり続けることが必要です。人生大切なことはそんなに多くはありません。人生の時間は有限なので、自分に嘘をつかず、家族や親族友人など、大切な人に「いいね」と言ってもらえることを続けていきたいですね。

明和義人祭実行委員より文庫本「新潟樽きぬた」を寄贈させて頂きました。

「明和義人伝~モダンタイムズ~」とは

明和義人に準え、現代で『勇気をもって行動し、自らの手で未来を切り開こうとしている人』にスポットをあて、今までになかったものを始めようと思った原動力や、きっかけ、そして具体的な活動内容を紹介します。新しいことを始めようとしている方の一助となれれば幸いです。