「ヒッコリースリートラベラーズ」を立ち上げた頃のことを教えてください。
迫:
僕は大学で社会学を専攻していたのですが、絵本や絵を描いたり、デザインで表現することを将来の仕事にしたいと考えていました。卒業後、たまたま知り合った仲間たちと3人でクリエイト集団「ヒッコリースリートラベラーズ(以下「ヒッコリー」)」と名乗って活動し始めました。2001年10月から西堀ローサのチャレンジショップで1年半、そのあと古町通に店を開いて、自分たちが作った商品を少しずつ販売していました。当時、雑誌や新聞などのメディアも「若者たちがなにやら面白いことをやっている」と僕たちを取り上げてくれて、結婚式用ギフトやTシャツのデザインといった依頼が徐々に増えてきたり、地元のお店と一緒に作ったコラボ商品が注目され始めたりして、何の根拠もなかったけれども、この調子でもっと面白いことができるんじゃないかと思い込んでいました。
商店街との関わりも、その頃から深まっていったのですか。
迫:
今ヒッコリーがある場所は、以前「渡道酒店(ワタミチ)」という酒屋さんで、その風格のある建物が壊されると聞いて、もったいないので僕らが受け継ぐことにしました。古いものは新しく作れない、歴史は簡単には作れないということを感じていたからです。ワタミチを開放し、ダンス、演劇、教室、飲み会まで、いろんなことをやったおかげで、現在の仕事にもつながるたくさんの人との出会いがありました。商店街の集まりにもその頃から積極的に参加して、「もっとこうした方がいいんじゃないか?」という問題意識も自分たちなりに生まれてきて、勝手にロゴマークやマップを作ったり、上古町を「カミフル」と呼んでみたり、今で言うブランディングのようなことをやり始めました。商店街をまとめる皆さんも温かい目で応援してくださって、その上いろんなことを教えてくださった。自分たちの仕事も、みんなで取り組むまちづくりも、失敗しながら時間をかけてやることにすごく意味があるということを学びました。