宇尾野さんの現在のお仕事について教えてください。
宇尾野:
昭和40年に父である先代が立ち上げた会社を受け継ぎ、30年近くになります。会社全体の業務としては自社ブランドの食肉製造業と卸売業を兼ねていますが、私の今の主な仕事は、海外に向けた自社ブランド肉のPR、販売になりますね。シンガポール、タイ、ベトナム、香港、マカオ、カナダ、アメリカの7カ国の問屋やホテル、レストランの皆さんと取り引きをさせてもらっています。取り引きが始まると、2〜3ヶ月に1度現地に伺っていましたが、近年はコロナ禍でそれができないのがネックでした。最近は海外にも渡航できるようになってきましたので、10月もニューヨークとシカゴに行ってきたところです。
海外での商談が多く、言葉やコミュニケーションなど大変では?と聞かれることもありますが、社長である私が行く限りは責任もなく、気楽にできるのがいいところかもしれません(笑)。30代の頃、輸入牛は大手商社と組まなければ取り組めないと思って、東京駅から電話をかけて飛び込み営業をしたこともありました。ダメもとでも挑戦してみようと思う気持ちは、今も変わりませんね。
先代の父とは一緒に仕事をしていた時期もあり、仕事への情熱や熱心さ、真面目にやることの大切さを間近で学びました。海外進出も父がつないで来た道を私が新しくつなぐというイメージでしょうか。
自社ブランド立ち上げのきっかけを教えてください。
宇尾野:
その昔、当社は農家から豚を買って、ブロック肉にして販売するのが主でした。新潟県産の豚でその土地に根付いたものではあるのですが、肉質や味、飼料、環境においても、これといった特徴がなかったんです。一方で輸入牛も取り扱っていましたから、30代の頃はバイヤーとして牛肉の産地であるアメリカやオーストラリアにも赴きました。輸入牛は県内でもいち早く取り扱っていましたが、いつしか他の問屋さんも扱うようになってしまったんです。豚肉には特徴がないし、輸入牛は競合が多いしで、ビジネスをやる上で”武器”になるものがなかった。会社の特徴を出していけないと、お客さんに売りづらいですし、これでは生き残っていけないと思いました。
当時は「越後もち豚」がブランドとして確立し始めた頃でもありました。他県のブランド肉の事例を参考にしながら、自社のブランドを立ち上げていくことに決めたんです。そうして生まれたブランド肉の一つが「雪室熟成和牛®」でした。