「明和義人伝~モダンタイムズ ep~」第1回 : 菊乃さん

プロフィール

菊乃さん
古町芸妓

新潟市東区出身。3歳の頃から民謡を習い続け、高校卒業後に(株)柳都振興に入社。芸妓歴9年。20202月に振袖から留袖になり、さらなる芸を磨く。2021年からはインスタグラムの個人アカウントをスタートし、古町芸妓の日常を幅広く発信中。2022年の「明和義人祭」では、お雪役を務めた。

18歳で古町芸妓の世界へ入り、今年で10年目を迎える菊乃さん。
日々の厳しいお稽古で芸に磨きをかけ、現在は”留袖さん”として、後輩となる”振袖さん”たちを牽引しています。
2022年の明和義人祭では「お雪さん」役を務め、その凛とした佇まいでお祭りに華を添えました。

古町がにぎわいを見せた、3年ぶりの明和義人祭

3年ぶりに明和義人祭が開催されました。「お雪さん」役を引き受けてみて、いかがでしたか?

 

菊乃:
今回は3年ぶりとなる開催でしたが、小さなお子さんから大人の方までたくさんの方が参加してくださって、お祭りのにぎわいを久しぶりに体感できましたね。私が初めて明和義人祭に参加したのは、古町芸妓になって2年目の時です。始まった当初から毎年、留袖さん、振袖さんが練り歩きと踊りで参加をしていました。私自身、新潟市出身ではあるのですが、お祭りがあることも実は知らなくて、参加をして初めて「明和義人」という歴史の逸話があることも知ることができました。古町芸妓だった「お雪さん」役を演じましたが、衣装やお化粧をお雪に寄せるかというとそうではなく、いつもの自分らしい身なりでの参加です。今回のお祭りは、私たちの本拠地でもある古町の活気を久しぶりに肌で感じることができて、嬉しいひとときでした。

 

「お雪」の人柄や言動など、菊乃さんが共感をした部分は。

 

菊乃:
本で「明和義人」について触れる中で、もしかしたら自分に少し似ている部分があるかもしれないと感じました。私はどちらかというとサバサバとした性格。嫌なことは嫌ときっぱりしていますね(笑)。ですから、お雪さんがお役人たちに啖呵を切ったり、言いたいことや物事ははっきりと言うという点は共感できました。藤四郎と佐次兵衛は悲しい最期を迎えましたが、悲しい出来事で終わらせるのではなく、偉人の精神を後輩たちに代々語り継いでいったというのは、素晴らしいことだと思います。

舞台に立ち、注目を集めることが芸の原動力に

菊乃さんが古町芸妓を目指したきっかけを教えてください。

 

菊乃:
古町芸妓というお仕事があると知ったのは、高校3年生の時です。就職活動として企業説明会に参加して、そこに柳都振興のブースを見つけました。そこで白塗りをした芸妓さんたちに出会って、「なんで新潟なのに、京都の舞妓さんがいるの?」と衝撃を受けたんです。それまでは就職といっても漠然としていたんですが、もともと人と関わることは好きでした。会社からの説明を受ける中で、唄と踊りもこなすお仕事ですし、新潟に伝わる文化の一つだと知って、「絶対に芸妓さんとして働きたい!」と即決でしたね。両親や祖父母は応援してくれましたし、高校の先生方も親身になってくれました。「この子をお願いします」と何度も会社に電話をしてくれて、下積み時代はお座敷を見に来てくださったこともありましたね。恵まれた環境で育ててもらったと実感しています。

 

古町芸妓というお仕事の面白さや難しいと思う点は。

 

菊乃:
私は祖父母の影響で3歳の頃から民謡をずっと習っていて、舞台に立つということに関して抵抗はなかったですね。小さい頃は舞台に上がればおひねりをいただいたり、小さいながらも頑張っている姿をお客様に喜んでいただいていたように思えます。その体験がありつつ、芸妓として経験を積んでいく中で実感したのは、私は注目を浴びるのが芸の原動力になるということです。大きな舞台ですと、それまでのお稽古も本当に大変で本番が早く来て欲しいと思ってしまうほどですが、いざ舞台が終わってしまうと、とても寂しくなってしまうんです。
仕事のギャップという点では、芸妓のお仕事は唄や踊り以上に、お話がメインだということ。入りたての頃はお客様と何を話していいかも分かりませんでした。お酒を注いだりグラスを下げたりと、とにかく動き回って、その隙にお姐さん方がお客様とどんなお話をしているか、話術や話題を見て、聞いて勉強していきましたね。お座敷に関しては、今日はどんな会にお呼ばれしているかというのは、事前に知らされることは少ないんです。ですから、お客様によっては非現実を求めてお座敷に来られる方、お仕事の話をしにいらっしゃる方とさまざまですが、まずは場と雰囲気を読んで何が求められているか、それを考えることが大切になります。

自身の思いを交えながら語る花街の情緒

古町芸妓という文化、花柳界の歴史に触れて得たことは。

 

菊乃:
古町芸妓の拠点は古町ですから、お客様とのお話の中で、新潟の文化、特に”なぜ古町に花柳界があるのか?”というのはよく尋ねられます。特に県外や市外からいらっしゃった方には、西堀、東堀とお堀から北前船のお話と、港町の歴史を絡めてご紹介しています。実は私、本を読んで頭に入れるのは苦手でして(笑)。本で知識を得るより、話を聞いたり、所作を見たりした方がどんどん頭に入ってくるタイプです。芸妓のお仕事を始めるまでは、どういう歴史があるのか知らなかったのですが、200年続くという古町花柳界の歴史や謂れ、踊りや唄に関することなども、お姐さん方から聞いたお話を今も参考にして、今は自分の語り口でお伝えしています。そういう意味でも、先輩である歴代のお姐さん方の存在や影響というのはとても大きいですし、代々続く芸妓の存在そのものがこの土地に根付いた文化なのだと感じます。

 

古町という場所については思うことは。

 

菊乃:
学生の頃の古町のイメージといえば「大人の町」でした。飲み屋さんが多く、若者が足を踏み入れるには勇気のいる場所ではないでしょうか。私が入りたての頃は、毎日のようにお座敷やお祝いがありましたし、町そのものに活気がありました。ですが、今はコロナ禍だということもあり、人の出は怖いくらいに減っています。お店も少しずつ変わってきました。歴史がある町ですから、町の魅力は絶対に受け継いでいきたい。最近は上古町の商店街の皆さんと連携して、さまざまな取り組みも行うようになりました。上古町、下古町と分けるのではなく、古町全体で町を盛り上げられないかと考えているところです。

“意外性”が生み出す古町芸妓の新しいブランド力

町全体での取り組みには、古町芸妓としてどのように関わっていますか。

 

菊乃:
最近ですと「上古町の百年長屋SAN」で定期的に勉強会に参加をさせてもらっています。商店街の皆さんのアイデアが魅力的なものばかりで、新しいことを取り入れるということに希望が持てますし、とにかく刺激を受けます。あとは、芸妓衆がお米作りに取り組む柳都米プロジェクト「柳都の舞」や、古町柳都カフェの運営も新しい取り組みの一つですね。花柳界、芸妓というと、どうしても限られた方だけが接することができるものというイメージの方が多いのではないでしょうか。私としては、その壁を取り払いたいと思っています。

 

 

具体的にはどのように壁を取り払っていこうと考えていますか。

 

菊乃:
まずは「芸妓さんはこんなことをしないだろうな」という意外性を突いていくことでしょうか。歴史や文化を学べるところはたくさんありますが、学ぶだけではそれを守っていくのは、やはり難しいですよね。そのためには守るべき伝統はしっかりと守り、視野を広げて、新しいことにはどんどん挑戦して発信していこうと。芸妓のみんなのその思いが日に日に強くなっています。例えば、クラウドファンディングをやってみたり、インスタグラムなどSNSの個人の芸妓個人のアカウントを作って、日常を発信することも“芸妓の意外性”の一つです。ありがたいことに、柳都振興という会社として私たちの意見を受け入れ、バックアップしてもらっているのも大きいですね。若い方、小さなお子さん方、県外の花柳界の芸妓さんとも交流していきたいです。いろんな刺激や知識を得ていく中で、古町芸妓というお仕事を通じて、古町や花柳会の歴史も伝えていきたいですね。

 

 

明和義人祭に対すること、メッセージをお願いします。

 

菊乃:
長年続く思いや芸は受け継ぎ、守るべきものを守り、街を守るために新しいことに挑戦していく……今、私たちが考えていることは、明和義人で藤四郎、佐次兵衛、お雪の3人が体現したそのものだと思いました。守るためには広げていくことが大事だと思うんです。お祭りとして大人から子どもまでにぎやかに町を盛り上げながら、私は古町芸妓という一つのブランドを通して、この町の魅力を伝えていけたら嬉しいです。

「明和義人伝~モダンタイムズ~ep」とは

明和義人祭にて主人公を演じていただいた方に感想やご自身についてのエピソード(ep)をお伺いし具体的な活動内容を紹介します。明和義人を知るきっかけとなり新しいことを始めようとしている方の一助となれれば幸いです。