木村さんが健康に興味を持ったきっかけは?
木村:
僕が子供の頃お世話になった剣道の恩師がきっかけです。先生が47歳の時に喉頭がんを発症、2年間の闘病生活が終わりに近づいていたある日、病院の待合室で涙を流しながら、死への恐怖や生き続けたいという思いを僕と僕の友人に話してくれたことがありました。その光景が今も頭にこびりついています。先生はその後間も無く亡くなりましたが、15歳の僕がそこで学んだのは、「人が最期を迎える時、何を後悔するのか」ということです。お酒もたばこも大好きだった先生。奥さまの「あの人がもっと健康診断を受けていれば…」という一言が、僕の人生のスイッチを押してくれたような気がします。世の中の人が健康診断を受けていればこんな思いをすることはない、健診をみんなが受けられる社会を作りたいと強く思うようになりました。
健康や医療に関する仕事に就くために、どんな行動を起こしましたか。
木村:
関東の大学に進学し、ある国会議員の事務所で4年間アルバイトをしました。将来政治家になれば健診の文化を作れるのではないかとその時は思ったのです。しかし結局、政治だけでは駄目で、現場から変える必要があると感じ、大学卒業後に一般社団法人 新潟県労働衛生医学協会という健診機関に就職しました。県民の皆さんに健診を受けてもらい、その結果を活かして生活習慣や行動をどうにか変えてもらいたい。そういう仕組みを作りたいと常に考えていました。2008年、メタボ健診が始まり全国の健診データの仕様が統一されました。そのタイミングで厚生労働省のシステムを開発する会社の社長とご縁があって、東京に来ないかと誘っていただきました。その会社では厚生労働省、日本医師会、健康保険組合連合会という国の健康を司る上位団体の方々と、日本全国のデータの規格を検討し統一化した上で円滑に流通させるという業務を行いました。