会社の沿革と、関本さんが社長になられた経緯を教えてください。
関本:
版下職人だった私の父が1971年に独立、その3年後にデザイン会社を作ったのが当社の始まりです。父が1997年に亡くなり、当時私は東京の出版社で働いていたのですが、戻ってきて、母とともに会社を引き継ぐことにしました。23歳の頃です。
その当時はどんな経営戦略を考えていましたか?
関本:
最初はまだ版下もやっていましたが、印刷業界も変わりつつあり、自分が東京で修行してきたDTPの技術を活かしてデザインをやっていこうと考えました。父の保険金でMacを揃え、ちゃんとしたデザインができるようにスタッフにも一から教えて。仕事は徐々に増えて、若手スタッフの作品をデザインコンペに出すなど少しずつ実績を積んでいったのですが、私が30歳手前になった頃、これからは我々のデザインを下請けにとどまらせず、もう少し川上を目指したいと思うようになりました。そこで、東京時代の先輩を頼って東京に営業所を置いたところ、ほどなくして大手エンタテイメント企業のアートディレクターの仕事を引き受けることに。こうして新潟・東京の2拠点体制が安定基盤となり、現在のスタイルが出来上がりました。