「NAMARA」を立ち上げた動機と、その原動力は?
江口:
最初は単純に、好きなことをして生きていきたいという思いだったと思います。1996年頃、面白い仲間を集めてお笑い集団を立ち上げたい、でもどうやって集めようか?という時に、新潟で誰が一番面白いかを決める「新潟素人お笑いコンテスト」を開催しようと思いつきました。そうしたら思いのほかいろんな人が集まって、爆笑問題をゲストに呼んだこともあって、コンテストは結構盛り上がりました。それで、新潟でお笑いのプロダクションを作ってしまおうということになりました。その頃、居酒屋で会社の愚痴とか、「新潟って何か面白いものがないよね」とか、そんな声ばかり聞こえてきて、「じゃあ自分で作ればいいのに」と常に思っていました。自分の好きなことをできる環境を作れば幸せなんじゃないか。いろいろ愚痴を言っている人たちに、それを知らしめたいというのが、そもそもの原動力だったかもしれません。
「NAMARA」を立ち上げた当時の活動内容は?
江口:
最初の5年ぐらいは、さまざまな芸人さんたちと一緒にライブをやっていましたが、残念ながらライブだけでは食べていけないので、お祭りやイベントへの出演も並行してやっていました。仕事に関しては、断る理由がないというか、どんな仕事でも頼まれたものは全てYESで動いていたのですが、そのうちに社会課題、困りごと、具体的には学校のいじめとか環境問題、まちづくりなどに関しても、「お笑いを使って何かできませんか?」という依頼が徐々に来るようになりました。テレビ・ラジオという一般的な芸能の仕事もやりながら、もう一方で、社会課題に関わる仕事が増えてきたのです。